上映期間: 11月7日(木)まで(予定)
上映時間: 3時間18分
パルムドール受賞監督ヌリ・ビルゲ・ジェイラン最新作!
見渡す限りの雪砂漠と、夏の古代遺跡の雄大さ・・・
壮大な自然の前に人間は如何に小さなものか
トルコ、東アナトリアにある、雪深いインジェス村の学校に赴任して4年が経つ美術教師サメット(デニズ・ジェリオウル)。
この村は長い冬が終われば、春を挟まずに急に夏がやってくる。雪に覆われていた大地は春の芽吹きもなく、突然太陽にさらされ黄色く枯れていく。
なにもない村では、教師であるだけで尊敬される。
学校では、女子生徒セヴィム(エジェ・バージ)に慕われ、サメットの部屋でおしゃべりをしたり、休暇に行けば、お土産に鏡をプレゼントしていた。
しかし、どこまでいっても仕事も少なく、なにもない村であることに変わりはない。
知人の勧めで英語教師をしているヌライ(メルヴェ・ディズダル)と会うサメット。
彼女は理想を持って、社会と戦っていたが、テロに巻き込まれ片足を失い義足になっていた。
サメットは同居している同僚のケナン(ムサブ・エキジ)をヌライと引き合わせると、ふたりは意気投合していく。
ある日、学校で荷物検査が行われる。
サメットがプレゼントした鏡と共にラブレターを没収されるセヴィム。内容が気になったサメットは理由をつけてそのラブレターを手に入れる。
「返してほしい」と涙ながらに訴えるセヴィムに「もう処分したから手元にない」と嘘をつくサメット。
その日から、セヴィムの態度は変わった。
セヴィムは友人と共謀して、「サメットとケナンに不適切な接触をされた」と虚偽の訴えを起こし、ふたりは窮地に立たされる。
なにもない村では噂はあっという間に広がる。
目を掛けていたセヴィムの態度に打ちひしがれるサメット。しかし、実はケナンを陥れようとしたのかもしれない、という同僚の言葉から、怒りの矛先はケナンに向かっていく。
セヴィムはなぜ、虚偽の告発をしたのか? サメットとヌライ、ケナンの関係はどうなっていくのか? 忌み嫌っていたこの村から、サメットは去ることができるのだろうか?
すべてにおいて屈折し、狭量で、尊大な美術教師が
取るに足らぬと思っていた土地に、何を見つけ出すのか-
これまでパルムドール、2度のグランプリ、監督賞など、カンヌ国際映画祭をにぎわせ続けてきたヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は、本作『二つの季節しかない村』でヌライ役のディズダルにトルコ人初のカンヌ国際映画祭最優秀女優賞受賞をもたらした。
音さえ吸い込んでいく雪深い景色の圧巻の美しさと、標高2150mにある世界遺産ネムルトダーの夏の雄大さ。
対照的に、その中で生きる人間の悲しいほどの卑小さ。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は、この圧倒的な広がりを見せる自然の大きさと、自我に縛られた人間の小ささを大胆に対比させる。
息もつかせぬ言い合い、ちょっとした目線に現れる小さな感情の動き。
これまでの作品同様、ドストエフスキー、チェーホフ、イプセンと言った世界の文豪作品に加え、太宰治らの私小説を思わせる、繊細な人間感情の機微を圧倒的な演出力で描き出す。
劇中、主人公サメットによる撮影として提示される数々の写真は、ジェイラン監督自身が撮影したもの。
村を斜めに見続けるサメットの目線を体感することになる。
プライド高く、ひとりよがりで、屁理屈を並べ、すぐにキレて、周囲を見下す、“まったく愛せない” のに“他人事と思えない” 主人公サメット。
人と自分を比べ、他者をやりこめようとするサメットの姿は、現代社会のどこにでも見つけることができる。
主人公サメットとディズタル演じるヌライが繰り広げる人生論のやり取りは、12分を超える圧巻のシーン。
「世界のために何ができる?」の問いに、「正義は絵空事」とうそぶくサメット。
しかし、そのあとの展開に誰もが驚くだろう。
予測不可能さ、アンビバレントさ・・・
人の心の不可思議がそのまま提示されるとき、映画と現実の境界は失われ、新宿武蔵野館で新たな映画体験を味わうのだ。
- 映画名
二つの季節しかない村
- 上映期間
11月7日(木)まで(予定)
- 上映時間
3時間18分
- 配給
ビターズ・エンド
- 製作年/製作国
2023年/トルコ・フランス・ドイツ合作
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